鹿屋ハートセンター開設は、私の使命
医療過疎と呼ばれた大隅半島に心臓病治療を通じて持続可能で健康な未来を作りたい…

 私は大阪で生まれ育ち、鹿児島県内には一人の親戚も住んでいません。私と鹿屋の出会いは1999年のことです。当時、福岡徳洲会病院の副院長であった私に鹿屋の徳洲会病院(大隅鹿屋病院)から循環器の医師がいなくなって困っているので手伝って欲しいとのお話があったのです。鹿屋に来た私は驚きました。27万人が住む大隅半島にカテーテル治療をする施設が全く無いというのです。鹿児島県の人口2位の都市である鹿屋市に存在しないのです。それ故に急性心筋梗塞の発症時には2時間以上かけて錦江湾を渡って鹿児島市内に搬送されるとのことでした。治療が遅れたために亡くなった、フェリーまでたどり着けなくて亡くなったというお話を何度も聞かされました。

 私が知る限り、47ある都道府県で人口第2位の都市でカテーテル治療ができない都市は鹿屋市だけでした。都市部と同じだけの税負担を強いられ、同じ保険料を支払いながら都市部と比較して数倍にもなる死亡率に甘んじなければならない土地を私は放置できませんでした。2000年、私は当たり前の医療の恩恵を受けられる土地を作り上げるのだという気持ちで大隅鹿屋病院に転勤しました。この時、一緒に大隅の循環器救急を立ち上げようと大隅鹿屋病院に一緒に転勤してくれたのは、現在、大和成和病院に勤務する心臓外科医・藤崎浩行先生です。また、藤崎先生が転勤された後、心臓外科を支えてくれたのは大隅鹿屋病院現副院長の中山 義博先生です。

 

 以後6年間、鹿児島県下で循環器領域では第2位の実績を残す病院に大隅鹿屋病院は進歩しましたが、何十年も持続可能な循環器治療を提供できる体制は構築できていないとの思いが私にはありました。このため、2005年10月に徳洲会を退職すると決めた時に鹿屋を去ることはできないと思いました。明かりの灯っていなかった鹿屋に明かりを灯して、あとの手当てをしないまま去ることはできないと考えたのです。鹿屋の皆様にとっても一度知ってしまった明かりのありがたさを失うことはできません。大隅の循環器医療はもう失うことができない当たり前の医療になっていました。私は、明かりを灯した責任を全うしなければならないと考えています。

 実際、多くの鹿屋の医師や市民の皆様から鹿屋に残って仕事を続けなさいとお言葉をいただきました。開設する施設には「新井循環器科」や「新井クリニック」ではなく「鹿屋ハートセンター」の名称をつけさせていただいたのも、私が一線を退いた後にも永く鹿屋の皆様の役に立つ施設を作らなければならないとの思いからです。

 都市部と地方の格差が問題とされる昨今ですが、郵便局の数に差はあっても生命に関わる格差はあってはならないことです。私は、日本国の最も優れた点は他国と比べて均質な社会を作り上げたことであると思っています。地方の疲弊は都市部の疲弊や日本国の疲弊に繋がりかねないと思っています。安心して地方に暮らし、地方で農畜産や水産に励むために不可欠なインフラである医療から格差をなくしたいものです。私は徳洲会を退職しましたが、私の医師としての生き方の師は徳洲会の徳田虎雄理事長です。彼の「命だけは平等だ」という理念は現在の私にとっても絶対の真理です。疲弊した地方の代表的な存在である鹿屋市で自らの仕事を通じて貢献できる幸せを感じるとともに、多くの皆様の支援を得て鹿屋で始めるこの仕事は私の使命と考えています。

   

院長 新井英和 昭和54年 奈良県立医科大学卒業

日本循環器学会認定循環器専門医

日本心臓病学会特別正会員

日本内科学会認定医

日本心血管インターベンション学会指導医・評議員

日本心血管カテーテル治療学会指導医・評議員


 


鹿屋ハートセンター  郵便番号893-0013 鹿児島県鹿屋市札元2丁目3746-8 電話 0994-41-8100 FAX 0994/41/8320